小学校の頃から歴史が好きだった私が聞き入ってるラジオがあります。
それが「コテンラジオ」です。
学校では学べないことを分かりやすく、面白く学べるように話してくれているラジオ番組です。

Spotifyやポッドキャスト、YouTubeで歴史が好きな方は知っている「コテンラジオ」というラジオ番組があります!
「歴史が好き」「日本史が好き」「世界史が好き」な方々は、ぜひとも、聴いてみてください!
今後も”コテンラジオ”は更新されていきますので、こちらも情報の更新をしていきます!

コテンラジオとは、 株式会社COTEN 代表の深井龍之介さん、メンバーの楊睿之さん株式会社BOOK代表の樋口聖典さんの3名が日本と世界の歴史を面白く、かつディープに、そしてフラットな視点でお伝えしていく番組です。

下記がコテンラジオホームページです!
https://cotenradio.fm/

目次
■ヘレンケラー
■チンギス・カン
■中村哲
■まとめ

【ヘレンケラー】#107~#114

ヘレンケラーは、1880年6月27日~1968年6月1日まで生きた作家です。
作家ではありますが、視覚と聴覚の重複障害者です。
重複障害者であるにもかかわらず、作家をやりながら、世界各国に行き、身体の障害で苦労する方々への福祉活動を行なっていました。
ヘレンケラーを支えた人物として、有名な方は、アン・サリヴァンと言い、サリヴァン先生と呼ばれている人物です。
ヘレンケラーの家庭教師を行なった方です。
サリヴァン先生の出会いがなければ、ヘレンケラーという偉人がいなかったと言っても良いくらいです。
幼少期から苦労したことが多いヘレンケラーではありますが、歴史に残る偉人となった詳細をぜひコテンラジオで聴いてみてください。

★おもしろポイント★

●サリヴァン先生のことのお話から説明してくれている
ヘレンケラーのことを知るために欠かせない人物であるサリヴァン先生の過去をご紹介してくれています。
サリヴァン先生は、ヘレンケラー同様幼いころ目が見えなかったりと同じ思いをしていたり、ご両親を病気で亡くしたり、弟もいたのですが、亡くなってしまったりしてしまいます。
それでもめげずに生きてきた人物がサリヴァン先生です。
ここまででも心に響く内容ですね。
●ヘレンケラーは、ハーバード大学を卒業している
ハーバード大学を卒業していると聴いた時に、純粋にすごいと思いました。
まず、視覚と聴覚が使えない中で、試験を受けられたという点が想像できなかったからです。
受けることだけでもすごいのに、受かって、しかも、主席卒業であるのもあって驚きでしかないです。
そういった、ヘレンケラーのびっくりなところもぜひ聴いてください。
●言葉を覚える経緯がおもしろい
言葉を覚えることは、目で見て、聴いてすればできるのはあります。
ただ、ヘレンケラーの場合は、目が見えず、耳が聞こえないのもあり、覚えることのすごさが感じ取れます。
その覚えるまでの経緯を聴くと感動してしまいます。

【チンギス・カン】#115~#122

チンギス・カンは、1162年ごろから1227年ごろまで生きたモンゴル帝国の初代皇帝です。
モンゴル帝国ができるまでのモンゴルは国家がなく、闘いを各地で行い続ける状況でした。
チンギス・カンは、遊牧民で、国というのは、人であり、人が動けば国が動くという今では考えられない環境下でした。
アジアのアレクサンドロスと呼ばれているくらい強かったのが、チンギス・カンです。

★おもしろポイント★

●株式会社の考え方に近い対応の仕方
遊牧民としての考え方から国家を築くまでの流れを考えると、株式会社の成り立ちに似ています。
そういった株式会社に似ているのはどういった点かを分かりやすく解説してくれています。
モンゴル帝国ができるまで税金がなかったということを聴いた時、良いのか悪いのか難しいなと思ってしまいました。
●鉄を求める生活
当時のモンゴルでは、鉄が重要でした。そのため、鉄の奪い合いが戦争という状況です。
鉄を奪うために、どの国と仲良くしておくかなど、頭を使わないといけないこともあったのですね。
●1人1人がサイヤ人!?
当時のモンゴルは、闘うことが生きがいということもあり、1人1人が強かったという状況でした。
アレクサンドロスは、自分1人で闘いを求めましたが、モンゴルでは、誰もが闘いを求めたということです。
そのため、1人1人がドラゴンボールでいうサイヤ人なんだというのがイメージに合うかということでした。

【中村哲】#29~#30(番外編)

中村哲さんは、1946年~2019年12月4日まで生きた偉人です。
中村さんは、お医者さんで福岡でお仕事をされていました。
最初は医者として、アフガニスタンにハンセン病の患者さんを診るために行ったのが始まりです。
そこから、アフガニスタンで、用水路を作ったりするなど、現地での活動を行い続けました。
ペシャワール会現地会長も務めていたほど、パキスタンやアフガニスタンで一番知られている日本人です。
惜しくも、2019年12月に、アフガニスタンにて車で移動中に銃撃され亡くなられました。
今でも、中村さんの意志は受け継がれていて、現地で中村さんのやってきたことが継続されています。

★おもしろポイント★

●現地の言葉を勉強し、現地での生活に対応する
何事も文化が違うのもあり、対応することが難しいのはあります。
ただ、その環境の違いは関係なく、現地の言語に合わせて思いを伝えていかれました。
●政府にも認められた存在
政府への対応なども任されるほどの人物でしたが、政府への対応を行う場合は、現地の方に翻訳を依頼していました。理由は、一言一言が、闘いの引き金になるからです。
それくらい、国のことを思い、まわりの方々のことを考えて動いていたのがすごいです。
●「一隅を照らす」
【今いる場所で希望の灯をともす】ということを心にともし、良く好んで使っていたみたいです。

■まとめ

いかがでしたでしょうか。
ヘレンケラーは、自分自身の行動を考えさせられる歴史だと感じました。
チンギス・カンは、国のあり方や闘いという歴史を知ることができました。
中村哲さんは、今の時代には無くてはならない存在だったのに、亡くなってしまい、本当に悲しく思います。
ただ、誰かが意志を引き継ぎ行動してくれているというお話を聴けて良かったと思います。
日々の行動には、これまでの偉人たちの歴史から生まれています。
改めて考えさせられる内容でした。
今後も、コテンラジオの情報を共有していきますので、よろしくおねがいします。

By ぱんだ

白黒うさぎを飼っている30代の独身男のぱんだです。 通信携帯業界に約10年以上携わったガジェット好き。 今後、通信系の経歴を活かし、情報発信やうさぎ、自分の趣味も数多くあり新しいお得な情報を分かりやすくお届けします。

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