コテンラジオで、「ジャンヌ・ダルク」を取り上げてくれました。
「ジャンヌ・ダルク」シリーズは、12話あり、Podcast・YouTubeにて配信されています。
今回は、コテンラジオで取り上げてくれている「ジャンヌ・ダルク」とはどんな人物だったのか、結局、何をした人物なのか、ということをまとめていこうと思います。
そのうえで、コテンラジオにて、分かりやすく、詳しく、楽しく、「ジャンヌ・ダルク」について聴いてもらえると嬉しいです。
「コテンラジオ」とは
学校では学べないことを分かりやすく、面白く学べるように話してくれているラジオ番組
Podcast、YouTube、Spotifyで歴史が好きな方は知っている「コテンラジオ」。
私同様に「歴史が好き」「日本史が好き」「世界史が好き」な方々は、ぜひとも、聴いてみてください。
今後も”コテンラジオ”は更新されていきますので、こちらも情報の更新をしていきます。
コテンラジオとは、 株式会社COTEN 代表の深井龍之介さん、メンバーの楊睿之さん、株式会社BOOK会長の樋口聖典さんの3名が日本と世界の歴史を面白く、かつディープに、そしてフラットな視点でお伝えしていく番組です。
下記がコテンラジオホームページです!
株式会社COTEN

○ 「ジャンヌ・ダルク」 とは
1412年~1431年5月30日まで生きたフランスの国民的なヒロインであり、カトリック教会の聖人です。
フランスのオルレアンをジャンヌ・ダルクが解放したことにより、「オルレアンの乙女」や「オルレアンの少女」というように呼ばれています。
活動期間が短いながらも、現在においても、フランスのオルレアンでは、ジャンヌ・ダルクの功績を称えられています。
◆ 「ジャンヌ・ダルク」の生涯
ジャンヌ・ダルクについて詳しくは、コテンラジオで聴いてほしいということを前置きに、ジャンヌ・ダルクの生涯について、簡潔に、ポイントを抑えていこうと思います。
・百年戦争
ジャンヌ・ダルクが生まれる以前から百年戦争と呼ばれている戦いが続いていました。
当時で言えば、イギリスではなく、イングランド軍とフランス軍との対立となります。
百年戦争が起こった要因として、簡潔にいうと、イングランド側とフランス側で、「フランス国王の座」という立場を争っていたというものです。
なぜ、イングランド側がフランス国王の座を狙う状況になるのかというと、当時は、それぞれの国の貴族たちの子供が結婚をするというのが頻繫に行われていました。
例えば、イングランド国王の娘がフランス国王の息子と結婚するというような感じです。
そういう風に、国をまたいで嫁いだりするのが一般的だったのもあり、イングランド側にもフランス側の人物がいたり、フランス側にもイングランド側の人物がいたりしました。
そのため、イングランド側の人物がフランス国王の座を狙うというような状況になるということです。
当時派閥があり、アルマニャック派とブルゴーニュ派とで分けられています。
・神の声
ジャンヌ・ダルクは、百年戦争の途中で、生まれることになります。
1412年ごろに生まれています。
最終的に聖人と呼ばれるきっかけとなる「神の声」を13歳くらいのときに聴くことになります。
その神の声をきっかけにジャンヌ・ダルクは、フランスをイングランド側から守ることにつながります。
・オルレアン包囲戦
フランスのオルレアンでは、イングランド軍を打ち破れず苦戦を強いられていました。
そんなときに、現れたのが、ジャンヌ・ダルクです。
ジャンヌ・ダルクは、とにかく、神の声を信じて、攻めろという対応を取ります。
正直、戦略なしの指揮なのですが、ジャンヌ・ダルクが旗を掲げ続けることで、フランス軍の士気が上がり、オルレアンを解放へと導きます。
このオルレアンを解放したことで、「オルレアンの乙女」とも呼ばれ始めます。
・シャルル7世がランスで戴冠
ジャンヌ・ダルクは、神の声のままに前に進み、シャルル7世をランスにて戴冠させることに成功します。
ジャンヌ・ダルクにとっては、1つの区切りとなります。
・神の声が聴こえなくなってくる
これまで戦い続けてきたジャンヌ・ダルクは、徐々に下降していきます。
神の声が聴こえなくなってきたというのが大きな部分であったみたいです。
戦いに出れば無敗という実績を誇っていたジャンヌ・ダルクも負け始めるのです。
・イングランド側に捕縛される
ジャンヌ・ダルクは、戦いに負けを強いられて、ブルゴーニュ公国軍に捕縛された後に、最終的にイングランド側で引き取られることとなります。
戴冠まで導いてくれたジャンヌ・ダルクをシャルル7世が助けると思いきや、助けることはありませんでした。
理由は、シャルル7世は戴冠後、ジャンヌ・ダルクが少し邪魔となっていました。
常に、神の声ということ理由に意見したりと戦略性のない行動が目立ち、シャルル7世の立場を危うくすることもありました。
そのため、ジャンヌ・ダルクを助けるという選択を取らなかったという結果となってしまいます。
・火刑
ジャンヌ・ダルクは、最終的に、火あぶりの刑に処されます。
捕縛されたジャンヌ・ダルクは、異端審問へとかけられます。
異端審問を担当したのは、ピエール・コーションという人物です。
イングランド側との関係が深いピエール・コーションは、死刑にするという目的を持って対応することになります。
火刑となる要因となるのは、神の声にあります。
神の声を捏造したのではないかというように、イングランド側の意向もあり、とにかく、死刑にするための理由となっています。
一時は、無期刑という判決になっていましたが、ジャンヌ・ダルクが、男装を再度行ったことで、最終的に火刑となります。
・復権裁判
1456年7月7日に、ジャンヌ・ダルクの無罪が宣告されました。
ピエール・コーションが、無実の女性に罪を着せたという判決となり、無罪という判決になりました。
ジャンヌ・ダルクが火刑となる決めてとなった男装について、火刑となった当時からの変化により、例外と認められ、無罪の方向へと進むことになったのです。
・聖人と呼ばれる
1920年5月16日にカトリック教会で最も崇敬されている聖人の1人となりました。
◆ 抑えておきたいポイント
① 戦略性はない
ジャンヌ・ダルクは、神の声が聴こえていることで、行動しています。
そのため、戦略性はありません。
とにかく、神が言っているから進むという行動のみです。
ただ、その行動が理由となり現在でも崇敬される存在となっているのですが、指揮官としての能力ではなく、神を信じた結果です。
② 政治問題
イングランドとフランスの政治問題が絡んでいるということは理解しておきましょう。
ジャンヌ・ダルクが、最終的に、火刑となる要因となるのも、政治的な要因でもあります。
現在でも政治問題はありますが、いつでも政治問題は続いているということですね。
③ 神格化される
先ほどお伝えした戦略性はないにしても、士気を上げる要因となったジャンヌ・ダルクの行動は、今でも後世へと引き継がれています。
オルレアン包囲戦の結果により、オルレアンの乙女と呼ばれるようになり、活動期間約2年ほどという短い期間で、かなりのインパクトを残したことで、神格化されるようになります。
戦略も大事ですが、気持ちを信じ貫くというのも大事だということですね。
○ コテンラジオで聴く
・百年戦争の経緯が分かりやすい
百年戦争が起こった経緯、ジャンヌ・ダルクが生まれるまでに起こっている状況、百年戦争を終結に向かわせたジャンヌ・ダルクの最期について、分かりやすく語ってくれています。
コテンラジオの良い部分を存分に発揮しているポイントと言えるでしょう。
・オルレアン包囲戦の盛り上がり
オルレアン包囲戦について語ってくれているときには、聴いている方も熱が上がる語りとなっています。
とにかく、諦めないジャンヌ・ダルクというのをうまく伝えてくれています。
・政治の部分を分かりやすく
当時の政治問題はかなり厄介です。
理由は、シャルル、ジャン、ルイなどのように、同じ名前ばかりで、誰の事を言っているのか分からないからです。
ただ、その分かりにくい点をうまく伝えてくれています。
○ まとめ
ジャンヌ・ダルクについて、ご紹介しました。
私も実際にジャンヌ・ダルクってどんなことをしたのかが、不明確ではありました。
神格化されるようなことをしたのかな?という感じでしたが、今回のコテンラジオを聴いて納得できました。
やっぱり、現代にも受け継がれている偉人は、すごいということですね。
みなさんもぜひコテンラジオでジャンヌ・ダルクについて知ってみてください。